
を受けましたが、高熱のため聴覚を失ってしまいました。
娘が姫路ろう学校高等部を卒業する五十四年二月、娘と一緒に市内の伝統のある調理士専門学校へ、入学の中込みに訪れたときのことです。
「せっかくですが、当校としてはなにぶんにも、聴覚障害の方を受入れた前例がなく、教え方もわからないのでご希望にそいかねます」。受付でこう言われ、一応の覚悟はしていたものの、言いようのない無念さを私も娘もかみしめました。
「何かひとつ国の資格を取得させておきたい」と考え、食生活を豊かにする調理士の資格を取得することに目標をおきました。
担任の先生からも、卒業生の進路としては学校で初めてのケースでもあり、後輩のためにも是非、頑張ってほしいと励まされて来たのに……。
重い心で学校へ戻って結果を報告しました。今度は担任と一緒に、再び専門学校におもむき学校長にお会いてきました。そして学校として、「前向きに検討して頂く」ことになり、約一週間後にテストを受けました。その結果、母親がしばらくの間、授業に付き添うという条件で、初めてのケースとして入学が許可されました。
そのときの大きな喜びと、その反面これからの一年間、健聴者の中で一緒に勉強していくことの不安感が、強く胸をよぎったことが昨日のことのように思い出されます。
それから、娘と母の勉強が始まりました。ほとんどマンツーマンに近いような授業であったろう学校と、あまりにも違う教室の雰囲気です。
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